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17年越しの想いを込めて、「安全」を得た街 ~東武竹ノ塚駅の全面高架化初日レポ~

2022年3月20日東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)竹ノ塚駅周辺の線路が全面的に高架化されました。

これにより、地元みんなの17年越しの想いがついに形となったのです。

 

竹ノ塚駅の高架化初日を取材しましたので、画像とともに記事として書き記していこうと思います。

 

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きっかけは、平成期の大事故

2005(平成17)年3月15日、竹ノ塚駅すぐ南で、当時手動だった踏切制御の手順誤りにより、通行者4名の方が死傷する踏切事故が発生しました。

東武伊勢崎線では、北千住~北越谷間の複々線化事業とともにそのほとんどの区間で連続立体交差事業も推進されていましたが、竹ノ塚駅周辺のみ南側にある営団地下鉄東京メトロ日比谷線の検車区(現・東京メトロ千住検車区竹ノ塚分室)との兼ね合い上高架化がされず、竹ノ塚駅周辺のみ南北合わせて2個の踏切が残存されていました。

事故後地元では急速に踏切除却の機運が高まり、2011年遂に足立区主導のもと竹ノ塚駅付近の鉄道高架化が都市計画決定されることになります。事故から7年7か月の期間での都市計画化は異例の速さともいわれました。
この時系列については足立区議会の「交通網・都市基盤整備調査特別委員会報告資料」に詳しいです。

www.gikai-adachi.jp

 

その後、完成時期の変更などこそありましたが、2016年5月に下り急行線が高架化されたのを皮切りに、2020年9月には上り急行線が高架化、そして今回2022年3月の緩行線高架化、つまり竹ノ塚駅周辺の全面高架化と踏切完全除却を迎えることとなったのです。

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2016年5月の下り急行線高架化直前の画像(2016年5月28日撮影)。当時は特急スペーシアも踏切を通過していた。

 

今回の高架化は夜間の一部旅客列車の予定運休を伴う大規模事業となりました。
ただ、結果としてその翌朝の初列車には影響を及ぼすことなく、無事3月20日の高架開業を迎えることができました。
ここまで、踏切事故から17年と5日間のことでした。

www.tobu.co.jp

 

新しくなった竹ノ塚駅を見る

ここからは、今回の高架化により新しくなった竹ノ塚駅を見ていこうと思います。

 

竹ノ塚駅は高架化事業の進展に合わせてその姿を大きく変えてきました。

元々は東口の駅ビル「TOSCA」に接続するようないわゆる「古い東武の雰囲気」を持つ橋上駅でしたが、その後は2017年8月に緩行線仮線切替とともに仮設地下駅舎となっていました。

 

今回高架化に伴い、駅も高架ホームと地上駅舎に新たな装いをしてオープンしました。

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今回の新駅舎・ホームは、凄く竹ノ塚っぽくない(良い意味で)綺麗な駅に生まれ変わりました。

ホームとコンコース双方とも木を基調としており、優しい雰囲気を感じ取れます。

特にトイレはベビーベッド・子供用トイレや木製の長いベンチもある非常に広い空間を有しており、また外光も差し込む明るい雰囲気となっていました。(さすがに中までは写真撮れなかったです。許して。)

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今回の竹ノ塚駅では、新しいサインシステムの使い方も特徴的でした。

番線標は東武スカイツリーライン愛称設定時以来の路線名記載とラインカラーを附した従来型のものではない、新しいデザインのものが採用されていました。
また、背景も従来の青よりさらに落ち着いた紺色となっており、目に優しいデザインになったともいえるのではないでしょうか。

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コンコース階では吊り下げ式の看板ではなく、柱や壁を利用してサインを記載する新しいスタイルとなっていました。
日本語フォントについても従来東武が使用してきた新ゴとは異なる書体(おそらくUD新ゴ?)を採用し、新しい東武のサインデザインの形を提案しているように思えます。

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駅改札は自動改札の横にシースルー型の改札通路室を設置。
また、改札前にはLCD型の発車標も用意されていました。こちらの見た目は従来の東武駅のものと変わらないようです。

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ホーム上の発車標については野田市駅などでも採用された表示形態の、マルチカラーLEDを使用し列車接近時には黒地赤文字・赤地白文字の表示を繰り返すスタイルとなっていました。

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今回の高架化のタイミングとは外れますが、4/16からはホームドアの稼働が開始される予定となっており、装置自体はすでに準備がされている状態となっていました。

ちなみにホームドアは7両のみ対応で停車位置目標も7両のもののみ。
ホーム有効長自体は一応(20m車)8両分はありそうでしたが、仮に地上車8両編成の普通列車を復活させるとするとホームドアの付替えを含む大規模な工事が必要と予想できます。
このため、今後は緩行線では日比谷線直通用の7両編成のみで運行していくのではないかと考えられます。
(そもそも新越谷駅ホームドアとかも8両対応していなかった覚え。)

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放送装置では、下の画像で手前のスピーカーが自動放送用、奥が発車放送用と、用途によりスピーカーの使い分けがされていました。
ちなみに接近放送は既にホームドア対応型(英語放送なし)、発車放送は新上下本線型のチャイムを2ターン1コーラス流すパターンでした。

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街の姿と踏切の痕跡

今度は駅を外から見てみます。

東口側では駅舎真上の当たりの高架部分はガラス張りとなっており、こちらも明るい駅のイメージを持たせる存在となっていました。

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ちなみに旧駅ビルのTOSCAと併せての写真も撮ってみました。
新旧竹ノ塚駅の時代の移り変わりを対比することができると思います。

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前日まで使用されていた地下通路には明かりは灯されていましたが、既にその入口は完全に封鎖されていました。

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旧地上ホームに至っては完全に使用されていないのは当然、一部(画像奥)については西口連絡通路の造成のために、既にホーム構造自体が取り除かれている個所もありました。連絡通路を通るだけではわかりにくいかもしれませんが。
また、信号機等についても旧線部分については点灯していない状態となっていました。

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除却された後の踏切部分についても見てみたいと思います。

駅北側の踏切は元々高架化の進展に伴い、歩行者・自転車用の狭いものとなっていました。
踏切除去により、歩行者も自転車も立ち止まる必要なく通路を通過できるようになっています。
昨日まで地上を走っていた普通電車が走っている真下を自転車が通るという光景が、まさに高架化を象徴するような写真ではないでしょうか。(個人的にはそう思ってます。)

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踏切標識や遮断器はすでに撤去されており、象徴的な黄色と黒のストライプは踏切装置としては存在していませんでした。
また、線路部分には板が敷かれており、車輪がはまったり歩行者が躓いたりしないよう配慮がなされていました。

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続いて南側の踏切跡を見てみます。
こちらの踏切は竹ノ塚の「大踏切」とも呼ばれており、北側の踏切とは違い自動車も通行可能となっており、交通量が比較的多い道路との交差をしていました。
また、高架化のきっかけとなった踏切事故もこちらの踏切で発生したものです。

こちら側も踏切機器等はすでに撤去されていました。
また、踏切の廃止により一時停止がなくなったため用途を失った自動車用の停止線も、黒く塗りつぶされていました。
まだ慣れてないせいか、踏切跡直前で一時停止している車も数台見かけました。
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この踏切についても、線路後の部分には歩道部分のみですが板が敷かれていました。

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踏切の近くには下記のような張り紙もありました。
自動車の一時停止が無くなることにより、今度は横断者がいても自動車が止まらなくなる可能性が高くなったものと思われます。
元々高架化前からこの踏切前後には横断歩道等はありませんでしが、少し先には歩行者横断用信号も設置されているため、こちらを横断するのが本来安全なようです。

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取材中に印象的な光景を見つけたので画像を。
緊急走行中の救急車も、ここを止まることなく通過していきました。f:id:mishina-mnt:20220320225125j:plain
今までは踏切で一時停止と列車通過時はその間の停止が必要となっていたところ、高架化によってその必要もなくなったのです。
高架化がもたらす街への効果は、踏切事故のリスク除去のほか、このような緊急車両を含む道路交通の円滑化にも見えてくるのではないでしょうか。

 

「安全」を街の新たな魅力に

踏切事故のあった竹ノ塚駅南側の踏切すぐ近くには、このような銘板が残されていました。

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ここに記されていた歩道橋自体は、前述の駅舎地下化と地下自由通路供用開始に伴いその役割を地下通路へと譲りました。
ただ、銘板自体は残された状態となっており、この悲惨な事故の存在を忘れさせない存在となっていました。

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りょうもう号の真上にあるのが供用当時の歩道橋。(2016年5月28日撮影)

 

今回の全面高架化により、改めてその踏切事故防止という重要な目的は、踏切除却という形で完全に達成されることとなりました。
まだ引き続き後工程があるとはいえ、この結果に至るまでに導いてきた多くの方の想いと努力に、改めて敬意を表します。

そして今までよりさらに安全になったこの竹ノ塚という街が、その「安全」を一つの魅力として、さらに発展していくことを願っています。

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画像:すべて筆者撮影。日付のないものは2022年3月20日撮影。